2007年12月28日
整形外科研修①
2年次研修医 有馬 喬
今日は整形外科研修のお話。
当院の整形外科診療はご存知、前田和彦先生が独りで支えている。(ただし土曜の外
来は、応援の先生に来ていただいている。)
高齢社会を背景に入院患者さんには高齢者の転倒による骨折が多い。
よく聞くのは橈骨遠位端骨折(コーレス骨折が多い)や大腿骨頸部骨折などといった
ところか。
実際に担当した患者さんでは大腿骨頸部骨折が多かった。
整形外科研修も診察から手術、リハビリと色々経験できた。
大腿骨頸部骨折の手術では、研修が終わる頃には挿入するピンの位置決めから、全
て自分でさせてもらった。
余談だが、先日お話したとおり、あらゆる手技をするその瞬間は練習だと思ってや
ったことはない。
この患者さんが歩けるようになるかは、自分が今から入れるたった1本の金属に懸か
っており、練習(研修?)と思ってやるのはそもそもおかしい。
この認識こそ、医師としての基本的な責任感であり、研修医という表現が嫌いな理
由のひとつである。上級医が責任を取ってくれるということが、自分に責任がない
とどこかで思っている研修医はたくさんいると思う。
話を戻すと。
入れる前は単なる冷たい金属が、歩けるようになった患者さんの笑顔で温かくなる
。
自分が整形外科の好きな一面である。
大腿骨頸部骨折にはもうひとつ特別な思い出がある。
今日はその思い出を楽しんでいただきたい。
時は1999年3月。
有馬少年は高校生だった。なんちゃってヴィジュアル系バンドでドラムを叩いてい
た。
衣装には「X-ARIMA」と刻印されていた。
他のメンバーはGLAYみたいな格好をしていた。
今の言葉でいうと、「KY」である。
神童だったはずだが、あんまり成績は良くなかった。
そして、有馬少年は大学入試センター試験でとんでもない点数を取った。
今だから笑えるが、国語が200点中70点だった。
ちなみにボーリングのアベレージも70点である。
これを覆すのは、なんちゃってヴィジュアル系バンドの自分が東京ドームを満員に
するくらい困難なものだった。おそらく当院の会議室位で十分である。
「え?ひょっとして神童じゃなかったかも?」なんて18歳になって初めて思った。
そんな中、実家から電話が入る。
「ばあちゃんが足折って入院したから帰ってきなさい。」
すぐ病院に行くと、主治医の先生から説明があった。
「大腿骨頸部骨折ですね。この骨折は高齢者の方に多く、手術をすれば、3割の方は
元通り、3割の方は不自由が残り、3割の方は寝たきりになってしまいます。
寝たきりになると、肺炎とか尿路感とか感染症にもなりやすくなりますので、高齢
者の生命予後を決めてしまうくらい怖い骨折なんです。手の骨折とはちょっと訳が
違います。」という内容だった。
この時は全く深刻な感じで聞いてはいなかった。
そして手術は無事に終わった。
「やっぱり、何て事ないじゃん?」
しかし、次の日の早朝6時半。病院から電話が入った。
「おばあちゃんが大変なので来てください。」
あわてて病院へ行った。
すると、「豚のエサをやらんといかんから家に帰る。」
と大声を上げて、立ち上がろうとする祖母の姿。
当然立てるはずはないのだが、もがいて立ち上がろうとしていた。
状況が読めない。
センター試験の国語も何言ってるかさっぱり読めなかったが…
たった一日入院しただけで、こんな姿になるのか?
結局、鎮静剤を打つことになった。
今思うと、セルシンかなんかだったのか。
鎮静剤を打たれる家族の姿は少年には強烈だった。
何もしてないが、その状況に疲れきった少年は、家に戻り1冊のアルバムを開いた。
そこには、幼き日の少年(実に愛らしい)をおんぶする優しそうな老人が写っていた
。
その老人は、少年がこの世に生まれたことを誰よりも喜び、誰よりも大切にしてく
れた人。
歯の生えたばかりの少年に背中を噛みつかれても、噛み疲れるまで我慢した人。
学校から帰った少年にどんなに遠くにいても必ず「おかえり」と言ってくれた人。
時に、厳しく少年を怒った人。
しかし、両親に怒られた時は必ずかばってくれた人。
少年が足を向けて寝てはいけない人。
少年はその夜、
独り枕を濡らした。
少年は自分の大切な人が歩けなくなるばかりではなく、消えてしまいそうな恐怖に
包まれていた。
「大学入試の勉強は自宅でします」、と言ってしばらく学校を休んだ。
そして、少年は毎日病室へ行った。
しっかりしなくてはと思いつつも、自分を育ててくれた温かい空間を取り戻したか
った。
何週間かして、無事にリハビリも進み、退院の日を迎えた。
車で迎えに来た父が「乗りなさい。」と言った。
少年は「俺は先に歩いて帰ってるよ。」と言った。
不思議そうな顔をする父。
少年にはどうしても誰よりも先に、祖母に言いたい言葉があった。
かつて、家に帰ってきた少年に必ずかけてくれたあの言葉を。
「ばあちゃん、おかえり。」
暗くなっていた少年の家が、再び明るくなったことを、満開の桜が祝福していた。
そして、少年の大学入試の桜は散った。(笑)
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