2008-02-12

のれん

2008年2月12日

のれん

��年次研修医 有馬 喬




先日、研修説明会で青森まで行った。

東京より北に行くのはかなり久しぶりであり、まともに雪を見るのは高校の修学旅

行以来である。

宮崎では、「粉~雪~ねぇ♪心まで白く染められたなら♪(粉雪:レミオロメン)」と、

心まで白く染まるなんてまず無い。

「心まで白く」って、一体どれだけ降ればいいのか見当もつかない。


ところで雪といえば、「犬は喜び、庭駆け回り…」という歌を知っているだろうか

?

この歌、本当だろうか?

かつて我が家の犬は、寒いと餌の時間でさえ小屋から出ようとしなかった強者もい

た。

無理に引っ張り出そうとすると、全力をもって反撃に出る。

しかし、有馬少年は負けなかった。

自分は徳川綱吉では無い。

有馬家に飼われる犬として常に気品高くあらなくてはならないのである。

まして主人に逆らうことなどあってはならない。


と、思いつつも、愛らしい顔でこちらを見られるとついつい気を許してしまう。

これが猫だったらもっと手玉に取られていたかと思うと恐ろしい。


青森と言えば、十数年前に台風でリンゴに多大な被害が出て、その時に落ちなかっ

たリンゴが「落ちない林檎」として受験生に大人気!なんてこともあった。

日本は平和な国である。

一体いつからこの国はこんなに歪んでしまったのだろう。


…まあ、今日は政治の話は止めておこう。


肝心の研修説明会はというと。

のれんに腕押し感が何とも否めない感じであった。

「鹿屋?どこにあるんですか?」

まあ、妥当な反応だとも思えるが。


個人的には徳洲会グループの説明会に参加すると、いつも徳洲会に足りないものが

見え隠れしているようでならない。

グループ内、大体どこの病院も極めて早い時期から色んな手技を経験させ、即戦力

となるような教育を行う。

そして、研修説明会に来る研修医はその経験の数を誇らしげに語る。

実にワンパターンである。


実際は、後から振り返って、その手技自体は適切であったか、その手技の適応は本

当にあったのか、次に自分はどのような症例に今回できるようになった手技を施行

するのか、等考えるのが重要だと思うのだが、どうも手技をしたこと自体に満足し

ていそうな感じで話をする人がたくさんいる。

以前、大学病院の先輩に言われたことがある。

「お前のいる徳洲会は手先だけは器用だ。」と。

確かに、目の前に倒れた患者さんがいたとして、色々対処できるのは間違いなく徳

洲会の研修医であるが、処置後の、その症例について評価、指導という点では、医

者の少ない徳洲会ではさらっと流されている感じがするのも否めない。

しかし、当院はその点、非常に厳しい。

自分のしたいことが自由にできる病院であるが故に、厳しいのだと思うが。


という感じでしゃべったが、あんまり聞いてくれてなかった気がする。

やはり、一回来てもらうのが手っ取り早いが、なかなか難しい。


研修医集め、奥が深い。



5 件のコメント:

  1. 弘前まで出張ご苦労様でした。
    先生が書いているとおりだと思います。
    よく「2年目で心カテまでやらせてもらえる」など高度な手技を早くやらせてもらえる事をしきりに宣伝している姿を目にします。しかし、心カテが出来る事よりも、心カテをしなければならない患者さんを病歴や心電図から拾い上げる事が出来る能力の方がはるかに大切です。心カテが出来る事よりも、心カテをして何らかの治療をした患者さんのリスクファクターを含めたフォローの能力の方がはるかに大切です。
    ここでは心カテを例にあげましたが、内視鏡なども同じでしょう(決して循環器の先生と仲が悪いわけではありません)。
    それに循環器を専門にして心カテをコンスタントにやっていくようになったと仮定した場合、当初の1~2年は早く始めていた事の差が出るかもしれませんが、10年経過した時にはどうなっているでしょうか。トップレベルの能力を身につけているいるかどうかは、その人の持って生まれた資質やそれまでの努力、経験で決まるのでは無いでしょうか。
    逆に2年目で心カテを少しだけやって循環器を専門にしなかった時、10年後に一人で当直していてAMIの患者さんが来ました。果たして一人で心カテをやるでしょうか。ここでやってしまう人は勇気があるというより蛮勇があると言った方が良いかもしれません。
    結局、極めて専門性が高い手技を早い段階でやらせてもらえるという事はあまり重要ではありません。
    重要な事は”腹痛の人が来たら何と何は押さえておかなければならないか”、”電解質異常を見たら次にどんなアクションを起こすのか”、”ショック状態の人が来たらどうマネジメントするのか”、”抗生剤を使う時は必ず起炎菌推定の努力を怠らない”、”木村先生の前ではフルスペルを知っている略語しか使わない”などと言った臨床のどの領域に進んでも絶対に必要となる知識を条件反射で出来るレベルまで叩き込む事です(最後の一つは当院だけのローカルルールです)。手技としてはルートキープや挿管などの基本的手技は確実に習得する必要はありますよ。ハイ。
    医師になって10年、条件反射レベルでの習得が要求される知識については研修医の時期を過ぎてしまうとなかなか新しくは習得できないので、やはり研修医の時にうるさいくらいに指導医から言われて覚えるべきでしょう。一方、専門的な手技は専門が決まってからでもやる機会はいくらでもありますね。

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  2. 自己レスですが、今循環器をローテーションしていて頑張って心カテにも取り組んでいる城戸先生のやり方を否定している訳ではありません。研修医の時にその科の人間になりきって一緒に行動する事も大切です。その一環として高度な手技をする機会もあって良いと思います。
    ただ、高度な手技、専門的な手技を早くからやる事が出来るという点を強調するのもいかがなものかと言いたいだけです。
    それから、循環器の先生や木村先生と仲が悪いわけでもありませんので、誤解無きようお願いします。

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  3. 木村 圭一2008年2月13日 1:13

     研修説明会お疲れ様でした。田村先生コメントありがとうございます。
     私は略語にうるさく言っているのは、応用が利かないからと言うことです。ある講習会で、心室細動と言う言葉が分からない方がおられました。しかし、その人はVFは分かっているのです。心電図を見てVFと診断し、電気ショックも行えるのですが、心室細動の治療は?と聞かれると、、、どっちも同じなのに、、、、そんな事にならないために略語を使う場合には、フルスペル、可能ならば日本語も分かるべきでしょう。
     私は手技に関してちょっと違う意見です。有馬先生、田村先生が言われるように、大事なのは適応であったり、合併症について知っていたりする事である事は間違いありません。手技をする事を強調するのもどうかと思います。が、例えば大腸ガンの手術について勉強する場合、いつまでも執刀させてもらえないのに、適応とか合併症とか、その後のフォローとか、天才でない限り勉強しないでしょう。例え将来外科には来ないと分かっていても、次はあなたが執刀ですよと言われれば手術について一生懸命勉強するでしょうし、術前に家族へ話をする場合、何故手術をするのか、合併症は、、、知っていないと困ります。
     手技をやりながら勉強もやっていけるから、たくさん手技をやれるのが良い訳です。また手術もただやるだけではダメで、術前に勉強し、術後も復習して、、、つまり1回の手術で3回勉強出来ると言う分けですね。適当にやっていると出来る人と3倍以上の差が開くと言う訳です。よってあまりに沢山手術を経験する事も良いかどうかはよく分かりません。
     ちなみに、弘前からは一人見学に来てくれるようですよ。

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  4. 木村先生のような意見もあるのですね。
    自分が研修医の時は、そんなに勉強した事が無かったので、自分を基準に考えていました。手技の時と前後を含めて3回も勉強できれば、かなり優秀な医師になる事でしょう。
    十分な予習が出来ていない状況で指導医のチェックのもと手技をさせて頂いた事が多かったので、もう少し口うるさく言ってもらった方が良かったのかと思っての記載です。

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  5. 木村 圭一2008年2月14日 6:18

    私はそれほど勉強したわけではありません。当時の指導医に言われたことを書いただけです。
    私が初めて気胸の患者さんに対してトロッカー(胸腔ドレナージチューブ)を入れた時は、こうでした。
    私「先生、気胸の患者さんがいます」
    指導医U先生「本当だね。じゃあトロッカー入れようか。先生は見た事ある?」
    私「(U先生が見せてくれるんだ、ラッキー!)見た事ありません」
    U先生「じゃあ、先生入れてください」
    私「????」
    そして、U先生は、トロッカーの入れ方の書かれたコピーを下さり、「じゃあ読んでおいてね」と言われました。必死に読みました。当然です。今すぐやらなければならないのです!こうやって手技は覚えるのか、、、、と思いました。
     同じ話、大学の先輩からも聞きました。

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