2009-10-06

徳之島での研修

2009年10月5日
徳之島での研修
2年次研修医 有留大海

お久しぶりです。2年次研修医の有留です。
徳之島、神奈川と巡って9月に鹿屋に戻ってきました。なじみの方に会うと、何となくほっとする日々を過ごしております。今日は、少し前のことになりますが、僻地離島研修で徳之島に行ってきた時のことを少し書きたいと思います。

6月より2ヶ月間、徳之島で研修をしました。
出発する前に大隅鹿屋の方たちから、たくさんの激励の言葉をいただきました。
その中で、徳之島で研修を終えた先生たちは、みな同じことをおっしゃっていました。
きついことは多いけれど、やり切れば間違いなく自信になる。と。

初めて徳之島に降りたったとき、期待と不安の入り混じった複雑な気持ちでした。外病院での研修は初めてだったので、正直不安の方が大きかったかもしれません。
自分に言い聞かせました。この2ヶ月、1人でできるのはチャンスだ。これまでやってきたことを基本に忠実に、堅実にやろう。とか、いろいろ考えているうちに、まぁ何とかなるやろ、と開き直っていたのが僕のいいところかもしれません。

そんな開き直りとは裏腹に、初日から急変で始まり、救急はCPAで…
何ともあわただしい始まりだったのは鮮明に覚えています。
その後も、大隅鹿屋ではできない経験をいくつもさせてもらいました。

普段の仕事で一番楽しみにしていたのは、訪問診療でした。
患者さんの生活を垣間見ることができたのは、とても新鮮で貴重な経験でした。特に入院中に診ていた人が、訪問した際に自宅で元気にしているのを見ると僕も元気をもらったものです(僕はいつも当直明けが訪問でした)
島は特に医師と患者の関係が近く、たくさんの「ありがとう」をいただきました。「~してあげている」という気持ちではやっていないつもりですが、やはり患者さんの「ありがとう」は嬉しいものです。

しかし、僕が徳之島で一番忘れられない「ありがとう」は悲しい思い出です。
その「ありがとう」は若い女性が心肺蘇生にも関わらず亡くなった後に、旦那さんから言われたものでした。
心肺蘇生の最中に、旦那さんから「先生の大事な人がこうなったら先生はどうしますか?」と聞かれました。旦那さんが、僕を責めているのか、単純に迷っているのか、その時は分かりませんでした。何も言えず、心肺蘇生を続けることしかできませんでした。今聞かれても答えられないと思います。
限りなく絶望に近い状況とは分かっていても、自分の決断で愛する人が死を宣告されるんですから。

その患者さんはそのまま救急外来で亡くなりました。
死化粧をされた患者さんの前での、旦那さんとまだ小さい子どものやり取りを見て、涙をおさえることができませんでした。何て無力なんだろう…医師になり1年半、患者の死にも立ち会ってきましたが、あの日の無力感は特に忘れられません。
この家族はこれからどうやって暮らしていくんだろう?
子どもはこんなに小さくて死ぬってことも分からないだろうに、大丈夫なんだろうか?
患者さんはこの子たちと離れることになるなんて微塵も思ってなかっただろうな…
と、いろいろと思いが巡りました。きっと旦那さんは僕なんかとは比べ物にならない、想像できないほどの悲しみと、喪失感があったと思います。
でも、旦那さんは最後に「ありがとうございました」と言ってくれました。
僕は、やはり何も言えずに頭を下げることしかできませんでした。今思い返しても言葉が思いつきません。

僕たちは仕事上、多くの死に立ち会います。何となく慣れてしまう部分があるのが正直なところです。
でも、患者さんにとって死ぬのは一回。もちろん、患者さんの家族にとっても一回。
理想はみんな助かればいいけど、いつかはみな死にます。
ただ、その死が少しでも納得できるものであるように、それが医師の役目の一つかなと思います。研修期間で多くの知識を得ることができ、それもかけがえのない財産ですが、こういう「当たり前のこと」を実感できたのは今後の僕の大きな財産になると思います。

僕は何かと人に恵まれているなぁと実感することが多いのですが、徳之島でも素敵な出会いがありました。別にロマンスがあったというわけではありません(笑)同期、上級医、応援の先生、スタッフのみなさん、本当によくしていただきました。特に、札幌東から研修に来ていた同期の中西くんとは意気投合して、よく飲みに行き、いろんな店で油そーめん(いわゆるソーメンチャンプルー)を食べまくりました。初めてのサーフィンで、2人海水を飲みまくったのも、今となってはいい思い出です。
僕の徳之島研修は、いろんな人の優しさ、黒糖焼酎と油そーめん、きれいな海に支えられたと言っても過言ではないと思います。

徳之島を発つ時、やりきったという充実感とともに妙な寂しさがありました。
それは、きっと徳之島でいい研修をできたという証だと思います。
徳之島のスタッフのみなさん、2ヶ月間お世話になりました。また、お世話になる機会もあると思うのでその時はよろしくお願いします。久々に油そーめんが食べたくなったな…



3 件のコメント:

  1. 木村 圭一2009年10月8日 5:24

    有留先生、貴重な体験談ありがとうございます。
    初めてCPA(心肺停止;cardiopulmonary arrest、公認会計士ではありません)の患者さんが亡くなった時、有留先生が泣いていたのを覚えています。
    確かに泣くのが普通だよな、、、、と思いました。
    救命病棟24時の進藤先生のように肩を叩いていた有馬先生の事も(進藤先生の倍ぐらい?の大きさでしたが(^.^))良く覚えています。
    お互い刺激し合って良い研修を作り上げて行きましょう。
    さて、次は江口先生の番ですね!楽しみに待っています!!

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  2. 有留先生、貴重な体験ができてよかったですね。僕が島に行った時は出発1週間前くらいから既にホームシックでした。これは先生より僕のほうが繊細だということかもしれません。
    木村先生のコメントにあるように、先生が1年前の4月に初めてER(Emergency Room)でCPAの対応をした時の事は覚えています。
    木村先生のご指摘のごとく、進藤先生より確かに倍くらい大きかったかも知れません。。。
    有留先生は覚えてないかもしれませんがあの後、「早く気持ちを切り替えるんぞ。病棟で患者さんが今日もお前を待ってるぞ。」と、進藤先生並に熱い言葉を送りました。
    先生が来年?再来年?循環器内科研修に来るのを楽しみにしています。

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  3. 研修委員長 田村幸大2009年10月10日 10:02

    有留先生
    私は4年目の時に1年間勤務しました。
    内科医として赴任しましたが、3年分の経験しか持ち合わせていなかったのと自分よりも上の内科医がいなかった事もあり、本当に壮絶な1年を過ごしました(1年間で2回しか海に行けませんでした)。
    1年が終わった時に気付いてみると、度胸と多くの人の縁を身に付けていました。島を去る時は「ここに来て良かった」と思いました。
    有留先生の先輩達も通ってきた道です。この経験を糧に先生も大きく育って行く事でしょう(体のサイズは今のままでお願いします)。

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