2009-06-28

川南病院応援~神童が生まれ育った伝説の病院~

2009年6月26日
川南病院応援~神童が生まれ育った伝説の病院~
研修委員長 田村幸大

5月から宮崎の川南町にある川南病院の応援に行っています。
なんと川南の神童と呼ばれていた有馬先生はこの川南病院で産まれたそうです。
でも実際に行く事が決まるまでは、宮崎のどこにあるのかすら知りませんでした。
5月に行ってみたら本当に遠いところでした。
これ位、都会から離れていないと神童は育たないのだと納得しました。

宿泊先のホテルがある場所も「トロントロン」という意味不明の地名でした。
ホテルの周りを走ってみると「トロントロン商店街」とか「トロン調剤薬局」とか、これまた意味不明の看板が目につきました。
さすがに神の子供が産まれる場所は違うと心に響く看板が並んでいました。
地名の由来は色々と説があるようですが、そこは川南の神童である有馬先生に聴いてみて下さい。

なぜ、川南病院に応援に行く事になったのかというと当院の初代研修医である山中先生が今春から内科医として勤務するようになった事がきっかけでした。
常勤の内科医があまりいないという環境、透析を診てくれる医師がいないという環境は、4年目に私が徳之島に赴任した時と似ていました。
私が徳之島で1年間過ごした時は、1年半内科医が不在だったところに突然一人で赴任して孤軍奮闘しました。
その時に色々と助けられたのは、福岡徳洲会病院の筋浦先生(現在網走厚生病院勤務)、昭南鎌倉病院の相澤先生(現在静岡徳洲会病院院長)、同じく小林修三先生、名瀬徳洲会病院の生野先生など多くの応援の先生方でした。
まだまだ医師としての経験も少なく心細い思いをしつつも1年間徳之島で内科医として働く事が出来たのは、応援の先生達から精神的な面でも応援してもらったからだと思います。
そして当時お世話になった先生達に対する恩返しが出来るとしたら、同じような環境で困っている下の先生達を手助けする事なのだと思います。 blog090627-1

ちなみに恒例となりましたが、朝は川南の海まで走りました。
誰もいない砂浜を走って何とも言えない贅沢な気持ちになりました。
今度くる時は神童と一緒に走りたいです。



6 件のコメント:

  1. 研修委員長 田村幸大2009年6月28日 6:54

    湘南鎌倉病院の”湘南”が”昭南”になっていました。
    訂正させて頂きます。

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  2. 都会の研修委員長2009年6月30日 5:37

    写真きれいですね。
    日本の夜明けだ〜と叫びたくなりますね。
    鹿屋で育った人たちが日本の医療を変えて行く、、、、素晴らしいじゃないですか!!
    そのうち田村先生の銅像を作りますね〜。

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  3. 研修委員長 田村幸大2009年6月30日 7:07

    都会の研修委員長さん
    コメントありがとうございます。
    「日本の夜明け」 
    明治維新みたいで良いですね!
    ちなみに銅像を作る時は、目はパッチリ二重でお願いします。

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  4. 都会の研修委員長2009年6月30日 9:03

    田村先生の銅像作る時は、坂本龍馬のようにかっこよくしたいですね。
    それとも、「いつもここから」のどけどけ〜みたいなのにしますか??

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  5. 研修委員長 田村幸大2009年7月1日 22:57

    格好良く作ると誰の像かわからなくなる可能性がありますね。
    やっぱり「どけどけ~邪魔だ邪魔だ~」の方が良いですね。

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  6. ブログを見るのが久しぶりになってしまい、故郷の海が載っているのに今気付きました。
    写真の砂浜は14歳の神童が反体制的な態度をとっていた時(いわゆる反抗期)、早朝に父親に叩き起こされ連行、お叱りを受けた砂浜です。
    「この海に比べればなんと小さな存在のお前が、何を調子に乗ったことしとるんか?」
    と「金八先生の見すぎであろう」的なお言葉をいただきました。
    この後神童は医学部を目指し本格的に勉強し始めました。
    ��田村教授
    せっかくのお話ですが、この浜を走ると、柔道部の元旦稽古を思い出して悪夢を見るので遠慮させていただきます。

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